谷崎潤一郎全集

癇癪老人日記

谷崎潤一郎全集編集室の非公式記録です。書誌や資料についてのあれこれ

夕刊が朝届く

大正時代の新聞を閲覧すると、同じ日付なのに夕刊のほうが先にバインディングされていることに気づく。また、欄外(新聞のヘッダーのこと)と新聞一面にかいてある発行日がずれていることも。これはいったいどういうことなのか。

毎日新聞の社史では、

「大毎は1915(大正4)年、大正天皇即位の大典を記念し、大阪朝日と協定、夕刊発行に踏み切った。スタートは大毎、大朝とも10月11日付(実際の発行は10日夕)だった。」

「東日は23(大正12)年、東宮殿下(昭和天皇)のご成婚記念で夕刊発行を決め、9月1日紙面に「9月16日より本紙を毎号12ページに拡大し、その内4ページの夕刊を9月15日(16日付の紙面となる)より発行します」と社告を掲載した。」

と、「付」をうまくつかって説明している。「先付」という考え方があったようで、戦前の新聞は現在と印刷技術がことなるため、欄外の日付表記が一般に「先付け」で、実際の発行日と異なることがあり、とりわけ夕刊は前日午後に編集・印刷したものが翌日以降に配られるのが通常であった、というようなことらしい。

たとえば、データベースでは「聞書抄」は東日、大毎ともに1月5日で処理されており、毎日、読売ともに、記事を引用する際は「欄外」の日付で整理するのが妥当とのこと。各社、データベースの管理がここ数年で格段に整備されていて、信頼できそうだ。データベースにあとからアクセスする人がいることを考えて資料を整理したい。