谷崎潤一郎の「歌集」
谷崎の俳句って、そんなにめずらしいのですか、と夕方から数件編集室にといあわせがありました。ええっと。当時の文化人はたしなみでよく歌をよむとしかいいようがないのですが。
日経の記事、画像貼っておきます。記事のリンクは前項参照。
『谷崎潤一郎家集』という昭和五十二年(1977年)五月に湯川書房から出た歌集があります。生前谷崎がみずから編んでいた歌集を、13回忌にあわせて谷崎松子さんが出版したものです。内容は350首、短歌、俳句、漢詩など。「優れてゐるもの」ではないけれど、私的なものとして(だから「家集」)、思い出深いものとしてまとめていたことを、松子さんがあとがきに書いてます。
この『家集』によると、昭和二十年二月七日に「春の雪」がよまれたこと、同年梅のころに「梅が香」のうたがよまれたことがわかります。戦時下でも「細雪」を執筆し、「源氏」の口語訳に精力的に赤字をいれていた谷崎の、前向きな日々がうかがえます。
『谷崎潤一郎家集』は来年春に刊行スタートする「谷崎潤一郎全集」に収められます。
また、「細雪」の「私家版」の研究成果も、全集に「解題」として収められます。
帝塚山大学の展示
帝塚山大学で谷崎の稀覯書と書簡の展覧会が開催されるらしい。メモ代わりに貼っておきます。
帝塚山大学「貴重書展示『谷崎潤一郎・耽美の世界 ~肉筆と稀覯本(きこうぼん)を中心に~』 7/8(火)より開催! 17年ぶりの貴重書一般公開!初披露の展示品もあり。
7/16(水)には展示解説つきの公開講座も。」
http://www.tezukayama-u.ac.jp/news/2014/07/01/-78-17716.html
展示会関連でこんなニュースも。
日経「谷崎潤一郎が戦時下に俳句 「細雪」掲載中止で不安詠む」(2014/7/4 12:23)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0401K_U4A700C1CR0000/
NHK「谷崎潤一郎が太平洋戦争中に作った俳句」(7月4日 朝)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140704/k10015733801000.html
NHKウェブニュースの画像も貼っておきます。
期間があまり長くないのが残念です。
生誕105年太宰治展 神奈川近代文学館
神奈川近代文学館で5月25日まで開催中の「生誕105年 太宰治展」に行ってきました。直筆原稿や書簡、写真や愛用品の展示が圧巻です。三鷹で撮った有名な写真で着ている和風のインバネス(二重まわし、と書いてありました)が入り口に飾ってあって、本人がのそっと立っているかのようでした。生誕105年の展示品とは思えない、保存状態のよさに、ご遺族が遺品を大事にしてきたことがよくわかります。
売り場にガシャポンがおいてあって、缶バッジが出てくるのが楽しかったです。一個100円。「人間失格」は一緒にいった人が出したもの。「生まれてすみません」らしき絵柄がちらちら外からみえて、色のかんじとかよくて欲しかったんですけど、そこは、ほら、ガシャですから。
ちかくの、アメリカ山公園はバラがみごとでした。
全集のありかた
岩波書店の「夏目漱石全集」は、著者直筆原稿があるものは極力著者の文字遣いを再現しようとしているそうだ。次回改訂にむけ、さらに調査はつづいているそうな(2014年5月12日「朝日新聞」朝刊「ひと」欄)。
著者直筆原稿があるものは、それを再現する、それは全集として理想的なかたちかもしれない。ただ、著者によってケースバイケースだと思われる。たとえば、谷崎潤一郎の場合、改造社版の全集に自ら赤字をいれている作品が少なからずあり、また文字の統一などは晩年ちかくまであれこれ手をいれていたため、著者直筆の原稿があるからといってそれが「決定稿」とはかぎらない。著者が生きていた年代までは手を入れた可能性があるので、それを検証しなければいけないのだ。(長命な著者ならでは? 夏目漱石は49歳で没している)
今回の「決定版谷崎潤一郎全集」は、基本的に「愛読愛蔵版」という、一つ前の全集のテキストを踏襲する。それは、手抜きではなく、誤植の少なさ、著者の手入れなど考えたうえで、一番精度の高い文字組だと考えたからだ。ただ、これまでの「谷崎全集」には「解題」や「校異」などがついていなかった。今回の決定版でははじめてこれが各巻の巻末につく。ひとつひとつの作品がいつごろ書かれ、どういう経緯でこのテキストにかたまったかなど、最新の研究成果がはじめて一般読者の目にふれることになる。
生前に刊行された全集の土台
「谷崎潤一郎全集」は、中央公論社から谷崎の生前に一度、没後に二度、合計三回編纂され刊行されている(詳細はこちら)。その前に個人作品選集が何種類かでていて、全集の土台となっている。主なものは下記の通り。
- 「潤一郎傑作全集」全五巻(大正十・一~大正十一・五、春陽堂)
- 「谷崎潤一郎全集」全十二巻(昭和五・四~昭和六・十、改造社)
- 「谷崎潤一郎作品集」全九巻(昭和二十五・七~昭和二十六・一、創元社)
- 「谷崎潤一郎文庫」全十巻(昭和二十八・九~昭和二十九・二、中央公論社)
改造社版が刊行されたのは昭和五年なので、中期まで、といったところ。谷崎自身は中央公論社から全集がでるまで、この改造社版の全集をくりかえし読んで手を入れていた。*1
「谷崎潤一郎文庫」は文庫といってもB6に近く(確認)、いまの文庫判よりだいぶ判型が大きい。
中央公論社から刊行された谷崎全集
「谷崎潤一郎全集」は、これまで中央公論社から谷崎の生前に一度、没後に二度、合計三回編纂され刊行されている。以下はそのリスト。
- 「谷崎潤一郎全集」全三十巻(昭和32年12月~昭和34年7月、中央公論社)
- 「谷崎潤一郎全集」全二十八巻(昭和41年11月~昭和45年7月、中央公論社)
- 「谷崎潤一郎全集」全三十巻(昭和56年5月~昭和58年11月、中央公論社)
それぞれ、下記のような特色がある。
- 「新書判全集」とか「自選全集」などともよばれている。二段組みで文字がひどくちいさいが、30巻あってもあまりかさばらない。古書店でいまだに安価に買え、本人が選んだ作品がコンパクトにたのしめる(刊行後に発表された作品群はのぞく)。棟方志功の板画が金糸で再現された豪華な布装、函入り。豪華なのに手軽な新書判だというのがセールスポイントで、「豪華普及版」とうたわれた。
- 谷崎が昭和40年に亡くなったので、その後出た全集、「没後版」と呼ばれる。菊判函入りで文字も大きい。この全集で初期の作品など、本人が気に入らないからという理由で1から省かれた作品が編年体で読めるようになった。省かれた作品にも魅力的な作品が多く、その理由をさぐるのも一興。
- 書簡や雑纂を中心に補訂し、2に二巻を付け加えたもの。「愛読愛蔵版」と呼ばれる。鴬色の箱が目印。
それぞれに月報が付いているが、それについては別項にまとめる。
このほかに昭和47年から50年に刊行された「豪華普及版」(1と同じ名前でややこしい)という全集があるが、これは「2」をひとまわり小さくしてA5判にしたもので、同内容。
現行では、3の愛読愛蔵版が決定版とされており、研究対象としてこれを使うのが基本になっている。しかし、これからあらたに決定版全集(仮)をつくろうとしているのだから、愛読愛蔵版にはない特色を出し、読者に満足していただき、研究者が納得する全集をつくらなければならない。*1
*1:まだ何巻構成なのかとか、あんなものやこんなことが……という特色をいってはいけないことになっている。非公式の記録ですが、したがうことにします。